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【日本のスバル360という「てんとう虫」が我が家を支えたのかもしれない…】 [クルマ・バイク]

スバル360 というクルマをご存知でしょうか?

スバル360

過去の記事【ケンとメリー 愛のスカイライン ~私の車遍歴】でご紹介の通り、私のクルマ遍歴はボンネットが日焼けして塗装の禿げたスカイラインから始まりました。

父のマイカー遍歴はスバルレオーネから始まったと記憶しています。

私が小学校3年生くらいではなかったかと思います。

初代スバルレオーネ
スバルレオーネ

詳細はわかりませんが、たぶん、知人から下取りにタダ同然(もしくはタダ)で手に入れたクルマと思われます。

このクルマもスカイラインと同様にボンネットは思い切り日焼けして『地肌』が見えていました。


このマイカーが我が家にやってくるまでクルマで出かけることは無かったのかというと、そんなことはありませんでした。

我が家は父親が自動車修理の仕事をしていた関係から常に「誰のものかわからない」クルマが敷地に駐車されていました。

お客さんから預かった修理中のクルマであったり、お客さんから下取りしたクルマであったり、部品を使うために置いてあったり、とにかくたくさんのクルマが我が家には置いてありました。

裕福では無かった我が家にはマイカーは無い時期がずっと続いていたのですが、買い物などには、駐車中の『どれか』に乗って出掛けていました。

大分長い間、カローラに乗って出掛けていた時期がありましたが、多分それも『売り物』だったみたいです。

そのうち『買い手』がみつかり我が家の敷地から姿を消していきました。

そんななか我が家に常に駐車されていたのがこのクルマです。

スバル360

スバル360

とても小っちゃくて可愛いクルマです。

当時、『てんとう虫』の愛称で人気のクルマでした。

大衆車としてベストセラーとなったクルマでしたので、我が家の駐車場にも入れ替わり立ち替わりという感じでいろんな『スバル360』がやってきました。

そして我が家はそれらの『てんとう虫』に乗って買い物や食事に出かけたものです。

当時私はあまりこのクルマが好きではありませんでした。

何故かと言えば、まず小さい、そしてインテリアが『無いに等しい』ほどの質素な作り

スバル360_内装

こんな感じです。

そして冬はやたら「寒い」印象がありました。

やっぱり大きいクルマの方がカッコよかったので、当時は小っちゃなこのクルマで家族4人で出かけるのが何だかカッコよくない感じがしました。

でも調べてみると、この『スバル360』ってスゴイ!クルマなんですね。



航空機技術を応用した超軽量構造を採用し、また限られたスペースで必要な居住性を確保するための斬新なアイデアが数多く導入された。その結果、量産型の軽自動車としては史上初めて大人4人の乗車を可能とするとともに、当時の水準を超える走行性能を実現した。
比較的廉価で、十分な実用性を備え、1960年代の日本において一般大衆に広く歓迎されて、モータリゼーション推進の一翼を担った。ゆえに日本最初の「国民車(大衆車)」と考えられている。同時に「マイカー」という言葉を誕生・定着させ、日本の自動車史のみならず戦後日本の歴史を語る上で欠かすことのできない「名車」と評価されている。
模範となったフォルクスワーゲン・タイプ1のあだ名となっていた「かぶと虫」との対比から、また、そのコンパクトにまとめられた軽快なデザインから、「てんとう虫」の通称で庶民に広く親しまれた。
生産中止後も、1960年代を象徴するノスタルジーの対象として、日本の一般大衆からも人気・知名度は高い。スバル・360が初めての自家用車だったという中高年層が多いこともその傾向を強める一因となっている。生産終了後約40年を経過しているが、後期モデルを中心に可動車も少なくなく、愛好者のクラブも結成されており、今なおまれに路上を走る姿を見ることができる。
ウィキペディアより

まだマイカーが一般的ではなく自動車と言えば商用車が主流だった時代に比較的安価に家族4人が乗れるクルマができたということが画期的だったようです。

当時の軽自動車は実用的なクルマがなくスバル(富士重工)はゼロ戦を作った中島飛行機の技術を受け継いだ企業として、技術を結集しこのクルマを開発したようです。

富士重工の計画スペックとは…
その計画スペックは、軽自動車規格の枠内で大人4人を乗せることができ、空車状態での総重量は350kg、350cc級の15PSエンジンを搭載して最高速度80km/hを想定するもので、もはや従来の既成概念では実現困難な内容であった。
ウィキペディアより

極限まで重量を軽くするため室内は一切の『余計なもの』を排したばかりか、『ステアリングホイールは強度に問題のないギリギリにまで部材を細身に削られており』 と紹介されています。

本当に軽いクルマでフロントのバンパーに手を掛ければ子供でも多少持ち上がるほどでした。

多分大人なら2人か3人で持ち上がったんじゃないかと思います。

しかもサスペンションがやたら柔らかく、よく子供の頃は「ぼよんぼよん」クルマを弾ませて遊んだものです。

スバル360

この卵型の可愛らしいフォルムはスバル360の特徴ですが、ドアも前開きでちょっと変わっていましたし、後部座席に乗り込むときには座席が持ち上がっちゃうというのも、狭い空間をいかに有効活用させるかに腐心した結果なのかもしれません。

とにかく私はこのクルマに良く乗りました。

というか乗せられました。あまり好きではなかったのですが…。

その後我が家がこのクルマに乗ることも無くなっていってからも駐車場には常時1台はスバル360が置いてありました。

ある日、父の友人のおじさんが我が家に遊びに来ていて、お酒を沢山飲んでしまったので大学生の息子さんがクルマで迎えにきたことがありました。

クルマ好きのその息子さんが我が家にあるスバル360を見てすっかり惚れ込んで、父に再三、「売って欲しい」と懇願していました。

父は何度懇願されても断っていました。

理由は「買っても維持し切れないから辞めた方がいい」というものでした。

当時、既に「レトロ車」の範疇になっていましたので、恐らくまともに走るように維持するのには根気もお金も必要だったと思います。

我が家のクルマはいつもポンコツでしたが、そんなポンコツたちを自家用車にしていたのは、オーナーである父がプロであるからで、チョットしたクルマ好き程度では結局持て余してしまうことを心配してのアドバイスの様でした。

「セカンドカーとして持つなら止めないが、生活用として持とうと言うならやめた方がいい。」

そんな風にも言っていました。

かなり何度も我が家に日参してこのクルマをゲットしようと粘ったようですが、結局それからも我が家にスバル360は置かれていましたので、息子さんの方が父の頑固一徹さに根負けしたみたいです。


さて、今日のタイトルの「我が家を支えた」というのは、別に買い物に便利に使えたクルマとしてではなく、日本の大衆車としての幕開けを担ったクルマとしてのことです。

私の父は中学校を卒業してお父さん(私の祖父)の稼業である自転車屋をお兄さん(私の伯父)とともに継ぎました。

その後所帯を持った父は2世帯が自転車屋で生活していくのはとても無理だと考え、独学で自動車整備工の資格を取って自動車整備工場にしたということです。

この頃の母は、父の勉強の邪魔にならないようにと夜中の寒空の下で赤ん坊だった兄をおんぶして外であやしていたそうです。

そんな父がやっていた自動車整備工場はまさに映画『ALWAYS 三丁目の夕日』に出てくる、『鈴木オート』みたいな町の修理屋さんです。

三丁目の夕日_鈴木オート

ですから私は一般の人がノスタルジーに浸る以上にあの映画には特別な思いを感じてしまうのです。

【ALWAYS 三丁目の夕日はやっぱり泣ける…】

【ALWAYS 三丁目の夕日’64を観てみた】

そんな父が仕事をずっと続けてこれたのも日本がモータリゼーションの波に乗ったからだと思うのです。

そして、そのきっかけとなったクルマが今回紹介したスバル360なので、大げさに言えば、「このクルマが私たち家族の食い扶持の礎を作ってくれたのかもしれない」、という意味を込めてこんなタイトルの記事にしてみました。

当時は思いっきりバカにしていたこのクルマですが、こんな関わりがあったのだと大人になってみて思った次第です。



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